えびす(恵美須)神社
えびす神社
京都市東山区大和大路四条下ル

京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、
「えべっさん」の名で親しまれています。

その起源は約800年前土御門天皇の建仁2年(1202年)に禅の祖といわれる
栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられたものです。

今日多くの方はゑびす様と言えば「商売繁盛の笹」をイメージされますが、
ゑびす信仰の象徴とも言える笹は元来京都ゑびす神社独自の「御札」の形態が広まったものです。

笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」
「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となりました。

えびす神社a

弁財天

六波羅蜜寺(六はらさん)
東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町81-1

六波羅蜜寺の歴史
六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。
当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)
源平両氏の興亡、北条・足利と続く時代の兵火の中心ともなった当寺はその変遷も甚だしいが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉もまた大仏建立の際、本堂を補修し現在の向拝を附設、寺領70石を安堵した。徳川代々将軍も朱印を加えられた。
現本堂は貞治2年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していたが、昭和44年(1969)開創1,000年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせている。

六波羅蜜寺a

福禄寿神

赤山禅院(赤山さん)
左京区修学院開根坊町18

赤山禅院(せきざんぜんいん)は、平安時代に慈覚大師 円仁の遺命によって創建された、
比叡山延暦寺の塔頭。京都・修学院離宮近くの閑静な地にある紅葉の名所です。

本尊の赤山大明神は、陰陽道の祖神とされる中国の神 泰山府君を勧請したもので、
京都御所の表鬼門を守護しています。

鬼門除けの猿が知られ、方除けのお寺として信仰されています。

比叡山の千日回峰行とも関わりが深く「赤山苦行」で知られます。

千日回峰行を修めた大阿闍梨により「八千枚大護摩供」「ぜんそく封じ・へちま加持」「珠数供養」をはじめとする加持・祈祷が行われています。

都七福神の福禄寿のお寺としても知られ、また毎月行われる五日講が古くから商人に信仰され
「五十払い(ごとばらい)」の起源となるなど、さまざまな信仰を集めています。

赤山禅院a

大黒天

妙円寺(松ヶ崎大黒天)
左京区松ヶ崎東町31

大黒天のご尊像は、伝教大師(天台宗最澄上人)一刀三礼の御作にして、立正大師(日蓮聖人)甲子年月日のご開眼であり、開山日英上人のご感得にて鎮座されました。

大黒天は、仏教の守護神であり、法華経・仏教信仰者の守護神であります。

当山の大黒天は、京都の子丑の方角(表鬼門)に祭祀され、京都鬼門守護の福の神であり、
由緒正しく、慈愛同仁・福禄相にみちた「寿福円満 開運招福 商売繁盛」ご守護の大黒さまです。

尚、昭和44年1月20日、ご信者の献灯により堂宇が焼失しましたが、大黒さまは水火を免れ、無事ご出現されました。それにより「火中出現 火伏守護の大黒さま」として崇拝されています。

古来より民衆の間で信仰の篤い七福神は、京都が発祥の地とされ、
「都七福神」の巡拝は古くから行われているものです。

七福神の神々の力をもって福運を授かろうとする民衆の願いであり、特に新春に巡拝すると
「七難即滅 七福即生」極まりなしといわれ、功徳が大きいとされています。

ですので正月には福を得るために、多数の参拝客が訪れています。

妙円寺(松ヶ崎大黒天)a

布袋尊

黄檗山万福寺
宇治市五ケ庄三番割

隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師によって開創されました。
禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある
黄檗山萬福寺のご住職をされていました。
その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺」と名付けました。
その後、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗と改宗し現在に至ります。日本でいう「禅宗」は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。
萬福寺の伽藍建築・文化などはすべて中国の明朝様式です。美術・建築・印刷・煎茶・普茶料理、隠元豆・西瓜・蓮根・孟宗竹(タケノコ)・木魚なども隠元禅師が来られてから日本にもたらされたものであり、当時江戸時代の文化全般に影響を与えたといわれています。 中でも中国風精進料理である「普茶料理」は日本の精進料理(禅僧が日常食する質素な食事)とイメージが異なっています。見た目も美しく盛りつけられる料理の数々は、高タンパク・低カロリーで栄養面にも優れ、席を共にする人たちと楽しく感謝して料理を頂く事に普茶料理の意味が込められています。

万福寺a

毘沙門天

東寺(とうじ)
南区九条町1

教王護国寺(きょうおうごこくじ):東寺(とうじ)

成り立ち

東寺は正しくは教王護国寺といい、平安建都の際、都の南玄関、羅城門の東に作られた。後に空海が賜り、密教の根本道場(こんぽんどうじょう)とし、今に至る。

見所

五重塔(国宝)は、京都駅前のビルの林立する中で木造建築の美を際立たせてそびえたつ。
高さ57メートルの日本最高の塔で、寛永20年(1643年)に、徳川家光が再建奉納したもの。

講堂(重要文化財)にあるわが国現存最古の密教彫刻の一群や金堂(国宝)、大師堂(国宝)、蓮花門(国宝)など見所も多い。境内は史跡に指定されている。

東寺a

寿老神

行願寺(革堂)(こうどう)
中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17

天台宗延暦寺派 霊麀山(れいゆうざん)行願寺   本尊:千手観音菩薩
西国三十三所観音霊場第19番札所・洛陽三十三所観音霊場第4番札所・都七福神巡り(寿老人)
京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17

革堂は、京都御所の東南、寺町通丸太町を少し南へ入った東側にある。皮聖(かわのひじり)行円(ぎょうえん)上人ゆかりの寺で、正しくは行願寺(ぎょうがんじ)という天台宗の寺院。観音霊場の札所で、いつも境内には巡礼の姿をみる。

寺伝によると、開山の行円上人はもと猟師。山中で射止めた雌シカの腹から子ジカが生まれたのを見て、
殺生を悔い仏門に入った上人は、諸国の霊山を修業して京都に来往し、平安中期の寛弘元年(1004) 、
一条小川(上京区)あたりで一宇を設け千手観音菩薩を安置したのが行願寺の起源。

一条小川にあったことから「一条北辺堂」と呼ばれていたという。

行円は布教のとき寒さ暑さを問わず常にシカ革の衣を着ていたことから、人々が革聖(かわのひじり)とか皮上人と呼んだことから一条北辺堂(現在は中京区)を革堂と呼んだのが通称革堂の由来。

夏冬となく皮を着ていたことについては、殺された鹿に無常を感じて肌身離さなかったという説がある。

行願寺(革堂)a

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