イスラエル、パレスチナの争いはなぜ始まったのか

この記事にはアフィリエイト広告が含まれています。
Israel flag with a view of old city Jerusalem and the KOTEL- Western wall

イスラエル建国とパレスチナの抵抗イスラエルとパレスチナが紛争を続ける
「パレスチナ問題」の発端は、第2次大戦直後の1948年にまでさかのぼる。

イスラエルが建国されてユダヤ人が集まってきたことで、
もともとそこに住んでいたアラブ人約70万人が自宅を
追われ、難民となってしまったのだ。

そうしたアラブ人は「パレスチナ難民」と呼ばれるようになった。

イスラエルの占領に反発し、独立国家を求めるパレスチナの
抵抗の歴史が今に続いている。

イスラエルの建国を決めたのは、1947年の国連総会決議です

パレスチナの地をユダヤとアラブに分割し、
聖地エルサレムを国際管理下に置くと決めた。

1948年、決議に基づいてイスラエルが独立を宣言したが、
これを認めない周辺のアラブ諸国は宣戦を布告し、
一斉にイスラエルに攻め込んだ。

これが第1次中東戦争と呼ばれ、その後、双方は1973年までに
4度の戦火を交えることになった。

中でも1967年の第3次中東戦争をイスラエルは「奇跡」と呼ぶ。

わずか6日間で圧勝し、エジプトのガザ地区、ヨルダンの
東エルサレムとヨルダン川西岸などを占領したためだ。

パレスチナ人が占領に不満を強めていた1987年12月、
ガザから反イスラエル闘争の「インティファーダ」が始まった。

投石するパレスチナ人と圧倒的武力で抑え付けるイスラエル側―。

この抵抗の中核として生まれたのがイスラム組織のハマスだ。

住民への福祉事業も実施し、貧困層を中心に根強い支持を得ていった。

④はかなく消えた「希望の光」
一方、パレスチナ人の代表として国際社会で認められていたのが
1964年創設のパレスチナ解放機構(PLO)だ。イスラエルと
秘密交渉を進め、PLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相が
1993年9月、歴史的な「パレスチナ暫定自治宣言(オスロ合意)」に調印。

ガザとヨルダン川西岸を自治区とし、聖地エルサレムの帰属や難民の扱いは
その後の話し合いで決めることにした。

インティファーダは収束し、パレスチナ国家樹立に希望の光が差した。

だが和平の機運は長続きしなかった

ラビン首相は1995年、和平に反対するユダヤ教過激派に暗殺され、
1996年にはハマスなどによる自爆テロが頻発した。

和平交渉は2000年に決裂し、ガザとヨルダン川西岸全土で自爆テロが
繰り返される第2次インティファーダが巻き起こった。

ガザは「天井のない監獄」

ハマスは2006年、自治区の評議会選で圧勝したが国際社会に承認されず、
2007年にガザを武力制圧した。

イスラエルはガザとの境に壁を建設して封鎖。人の出入りも制限されたガザは
「天井のない監獄」と呼ばれている。

イスラエルはヨルダン川西岸の占領地でユダヤ人入植地を建設し、
事実上の領土拡張を続ける。国際法違反だと非難する国際社会の声を無視し、

パレスチナ人の住宅をブルドーザーで押しつぶしている。

イスラエルとハマスは2006年、08~09年、12年、14年、
21年と戦闘を重ね、多くの犠牲を生んだ。

一方で2020年以降には、アラブ首長国連邦(UAE)などのアラブ諸国が
パレスチナ問題を置き去りにしたままイスラエルと国交を正常化した。

ユダヤ人、苦難の2千年

歴史的経緯から極めて特殊で複雑な状況にあるイスラエル。

日本の四国程度の面積の2万2千平方キロに、約950万人が暮らす。

その約74%がユダヤ人だ。パレスチナ問題の背景には2千年を
超えるユダヤ人の苦難が横たわっている。

紀元前10世紀ごろ、ヘブライ人(後のユダヤ人)の王国がパレスチナにできたが、
紀元前6世紀新バビロニアに滅ぼされ、住民は一時とらわれの身になった。

さらに2世紀前半、古代ローマがユダヤ人を聖地エルサレムから追放し、
世界各地に散らばった。

ディアスポラ(離散)と呼ばれる。

辛酸は近現代でも続いた。ヨーロッパのユダヤ人はキリスト教社会で差別に直面。
19世紀のロシアでの迫害もあり、国家樹立に向けた意識が高まった。

第2次大戦後には、独裁者アドルフ・ヒトラーが率いたナチス・ドイツによる
ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の実態が明らかになり、
ポーランド・アウシュビッツの収容所などで約600万人が殺害されたといわれる。

国が滅ぼされ、土地を追われ、民族離散の悲劇に見舞われ―。

苦難の歩みを続け、安住の地を求めてきたユダヤ人にとって、
イスラエル国家建設は歴史的悲願だった。

⑨閉じられていたふたが…

イスラエルとパレスチナの憎しみの連鎖に終わりが見える兆しはない。

今からちょうど50年前の1973年10月6日、ユダヤ暦の祝日に
エジプトとシリアがイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けたのが第4次中東戦争の始まりだった。

今回、ハマスがイスラエルを奇襲したのは10月7日、ユダヤ暦の祝日だった。

「開戦日」を合わせた攻撃だったとみられている。

共同通信から引用

スポンサーリンク