豊臣秀吉五奉行 従五位下治部少輔 石田 三成の軍師 島左近

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立本寺地図a

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日蓮宗本山 立本寺(りゅうほんじ)に島左近のお墓があります。

戦国時代に活躍した個人的にファンである著名な軍師の一人

石田三成に全幅の信頼を受け石田三成の恩に報いた武将 島左近勝猛。
戦国時代の武将で筒井順慶や石田三成に仕えた人物。

戦国時代の軍師と言えばNHK大河ドラマの主人公黒田官兵衛
側室をもたず妻だけを愛し続けた英雄

武田信玄の軍師として有名な山本 勘助

「三成に過ぎたるもの二つあり、島の左近と佐和山の城(島の左近と百間の橋、ともいう)」

と言われ、小説・劇画等で良く取り上げられる、三成の重臣・島左近ですが、
この左近が三成に仕えるにあたっても、有名な逸話があります。

「常山紀談」「名将言行録」などに記されているものです。

これは三成が水口城主になり四万石を加増された時の話と言われています。

秀吉が三成を呼び、「今度、禄を加増したが、何人ほどの家来を抱えたか。」と
尋ねたところ、三成は「一人だけです。」と答えたというのです。

呆れた秀吉が、「一体、誰を家来にしたのか」と問うと、
三成は「島左近です。」と応じました。

秀吉は驚き、「島左近といえば、天下の名士だ。

お主のように、小禄の者に仕える者ではない。

一体、いくらの禄高で召し抱えたのか。」というと、
「されば私の禄高四万石の半分の二万石で召し抱えました。」といい、
これを聞いた秀吉は、笑いながら「君臣の禄高が同じというのは、聞いたことがない。

しかし、そうでなければ左近ほどの人物が三成には仕えまい。」と興じたというのです。

島左近は、1600年に起こった関ヶ原の合戦において銃弾を受け、討ち死にしたと
言われているが、その遺体や首は見つかっておらず、京都に逃げ延びて
「立本寺にて余生を過ごした」という説も伝えられている。

墓は立本寺墓地に、位牌等は塔頭の教法院にあり、
没年は寛永9(1632)年とされています。

石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。

豊臣氏の家臣。豊臣政権の五奉行の一人。

関が原の戦いにおいて西軍側の総大将として認知されているが、
実際は総大将ではなく主導者である。

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